以下の項目は不快に思う人が多いかもしれないので記事を分けました。

ちょっと客観的に見たら酷い人かな、と自分でも思うのですが、世の中にはこうやって強迫性障害と付き合ってる人もいますよ、って事で軽い気持ちで受け流して頂ければ。

4・責任放棄する事で不安を見捨てる。

強迫行為が中途半端に終わった時や強迫行為が出来ない時、いつもこんな事考えてました。

(皆食べる前には手を洗えって子供の時から習ってるのに、それをせずに手づかみでおにぎり食べて食中毒になったとして、その原因の菌が万が一私に触れた事であるとしたら、それは私の責任になるのか?ならないだろ!おにぎり食べる前に手を洗えよ!自己責任だろ!)

とか、脳内で人に責任を押し付けると割と楽になるもんで…すみません。

酷い考え方ですが、こうでも思ってないとまともに仕事が出来ないんです。
実際そういう事が起きたとして上記の想いを声高らかに言う勇気も無い。

ただ常に、何かあれば自分の責任に「なるかもしれない」と思いながら生きるのが、辛い。

そしてこんな考え方で生きて10数年。そんな展開は一度も無く平和です。

5・人のせいにして不安を流す。

本来、不安に人を巻き込むのは良くないとされていますが、誰かが大丈夫と言えば私の中ではもう大丈夫なんです。

私はその人と同じ判断をしたのだと思ったら、私の不安は結構流れてくれます。

多分、私は「他人と違う選択をして何か起きてしまう事が怖い」んですね。

そしてその人が「大丈夫だから○○やって」と言えば余程のレベルでなければ(何かあったらその人も一緒に謝ってくれるよね…)と○○します。

4でも書きましたが、実際それで何か起きた時に言い訳するつもりは無いです。

私には私の責任があるという事は、痛い位に分かっています。

でもその責任に潰されて何もできないんです。誰かの言葉に縋らないと行動できない時があるんです。

ただ、相手の負担になる事も分かっているので聞くのは一回につき一度だけ。

「大丈夫かな?」「~でいいよね?」って会話は、健常な人でもする。

なので大丈夫という一言を聞く行為は今も主にヨウスケさんにしています。

6・人の失敗にホッとし、自分の強迫を緩和する。

(ほら、皆何もせず作業に戻ってる。私は気にしすぎだよ)と思えるし、いざ自分がそういう場で強迫行為が出来なければ(あの時、あの人は…)って思えるし、そもそも皆が皆完璧じゃないよねと思えるし。

そういう意味で他人の失敗は好きです。誤解を生みそうな発言ですが…。

誰かの仕事のミスのフォローも「失敗したのは自分じゃない」から全然嫌じゃない。

そして失敗した人が頑張る姿や活躍してる姿、成長した姿を見ると大抵の失敗は取り返せるよね!と元気をもらえます。

強迫性障害をわずらった当初とは違う今の私

強迫性障害をわずらった当初の私は「失敗したら、何かしでかしてしまった時どうしよう」と何か起きてしまった時のその瞬間ばかりに囚われて不安になっていました。

今の私は「私が何かしでかした時は、何も偽らずに素直に謝ろう。」とある程度不安に対する答えがボンヤリ見えてきている気がします。

私の不安は「最終的にとても多くの人に責められるのではないか」という物で、そうならないように必死に強迫行為したり不安から逃げたりしてきましたが、

そうなった時に自分がどう動くか、どう動けば一番良いのかを考えて(どう考えてもまず謝るよな…。その後、出来る範囲の事をして…)とその不安が実際に起きた先を見据えると、少し心が楽になりました。

責められた時にどうすればいいのか、が分からなくて不安だったのか。責められた時に本当の一人ぼっちになる事が怖かったのか。

その辺りはまた自分の中で整理がついた時に記事にしようと思います。

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